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映画「岳」

Category : menu3 山
先ほど、映画「岳」を見てきた。
感想については、後ほど。
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Category : menu1 言霊
「魂を込めて仕上げてあります。」

アウトドアブランドARC′TERYXの2008年FWカタログに出てくる表現。

世の中に商品カタログは星の数ほどあるが、このような表現は見たことがない。

2006年FWカタログにも
「創造と開発。アークテリクスを定義する言葉である。業界をリードし、一つの規範となる技術的な革命とはいきなり起こり得る事ではない。「Evolution in Action」常に進化を求め前進し続けて始めて成し得ることである。」とある。

カタログ自体も独創的なものだ。アウトドアブランドというより、イタリアやフランスの高級ブランドだ。

戦略的なものと思うが、どのような社風なのだろう。とても気になる。

「火打山」 山スキー登山記録

Category : menu3 山
2011年5月15日(日)
火打山(新潟県)
天気:快晴
人数:2人(O君→山スキー、私→テレマークスキー)
ルート:笹ヶ峰-高谷池ヒュッテ-火打山の往復(ほぼ夏道沿い)
時間:自宅発3:40-中央道・長野道・上信越道-笹ヶ峰6時過ぎ着・出発7:03-山頂着13:45-駐車場着17:00
他の登山者:スキー約5人、登山者約5人
トイレ:笹ヶ峰駐車場は使用可。高谷池ヒュッテも営業しており、使用できると思われる。
展望:360度あり
雪:笹ヶ峰から山頂までほぼつながる。十ニ曲がり~富士見平までの一部はなし。先週の雨により、かなり雪解けが進み、枝や藪が起き始め、うるさい。

一ヶ月前から約束をしていた火打山スキー。日頃の行いがよいせいか、この日曜日は絶好の天気になった。山頂でも軽いそよかぜ程度で、暖かく、登山日和だった。
ただし、雪は先週の連日の雨でかなり解けてしまい、快適だったのは山頂直下だけで、あとは、枝や藪をよけてのスキーで、快感までとはいかなかった。
やはり、火打山が快適なのは、4月末に笹ヶ峰までの除雪終了後すぐのGWであろう。一雨ごとに雪解けが進み、スキーのメリットが失われていく。

火打山で今年の板納めになるのか?休みと天気がそろわない。

エピローグ

Category : menu4 active
5月4日の活動後、自分の車があるRQ本部まで送って頂いた。明日は帰宅し、6日から会社へ出勤しなければならない。
本部まで送って頂いた方は、唐桑VCの設立に深く関わっていた方で、車内で色々な話を伺うことができた。車で通る道も、5月2日とは異なり、また、別の被災地を目の当たりにした。

ここは約50軒からなる集落があったんだけど、2軒しか残らなかった。

見渡す限り、原野に近い状態になっていた。集落があったとは思えない。リアス式海岸が深く刻まれ、そこへ陸から流れ込んだ土砂が堆積してできたわずかな細長い堆積平野。当然、標高はほとんどない。大津波が襲えばひとたまりも無く、あっという間に破壊されたのだろう。

この集落では自衛隊の方々とすれちがった。連日、相当な整理をしたようで、ほとんど家の基礎しか残っていない。夕方5時を過ぎており、その日の任務を終えたほっとした表情を読み取れた。外見、20歳前後の若者ばかりだ。今は、彼らが日本を支えているのだ。この大震災での活動は、彼ら一人ひとりの人生にもとても重い経験になり、人生を左右することになるのは間違いない。大津波直後は、遺体が電線にひかかっていたり、あちらこちらに散乱していたという。マスコミでは報道されない、できない場面に数多く向かい合っているのだ。

その夜、自分の車で唐桑VCに戻った。
毎晩、夜のミーティングの後、ささやかな慰労会がある。ここでは色々な話を聞くことができ、大いに刺激になった。

ニシムラさんから「自分の仕事をつくる」という本を紹介された。この著者の本はいいよ、と推薦をされた。同姓だが別人で、RQ東京本部にて活動へ参加されているという。自宅の積ん読(読んでいない積んである本)にあったので、早速、帰宅後読ませて頂きました。

ボランティア活動の参加者は、意識の高い方ばかりだった。皆さん詳しくは語らないが、それぞれの職場で仕事ができる方ばかりだと思われる。逆説的の言えば、日常生活や仕事をまともにできない人がボランティア活動に参加しても多くの成果をあげることはできない。日常生活や仕事に全力で取り組み、充実した日々を過ごしたい。
ボランティア活動という表現は、社会活動へ無報酬にて参加する活動というイメージだが、実際は異なる。今の世の中は、お金を仲介にしてモノやサービスを取引する。しかし、近所づきあいやお金がない時代、お金が役に立たないところでは、モノとモノ、モノとサービスの物々交換だ。ボランティア活動ではお金をもらうことはないが、対価として色々な勉強をさせて頂ける。いろいろな価値観や日々の生活と縁の無い世界を見ることができる。
人の器は、出会いの数や体験の数で決まるともいう。
決して無償活動ではない。敷居の高い感じがする、どのように応募すればよいのかわからない、というとりかかりにくい面があるのは確かだが、一歩を踏み出そう。その人なりの新たな財産が増えるのは間違いない。ちなみに、はじめは1泊2日くらいから自分の体力・能力を考えて。ただし、一時的に財布は軽くなりますが…


5月5日朝6時過ぎ、東京方面へ帰宅するメンバーを見送った。日中、東北道が大渋滞するのは必至なので、早く出るという。一緒に唐桑VCへ来たナガイさん、オカザキさんも車内の人になった。オカザキさんは明日から熊本へ出張とか。皆様、お疲れ様でした。

私も8時過ぎに唐桑VCに別れをつげた。一人なので、気になっていた岩手県陸前高田市へ寄ることにした。報道されているとおり、陸前高田は大津波のすさまじい被害を受けたところで、唐桑半島からは県境を越えてすぐの所だ。
陸前高田へ入ると、国道から大迂回をさせられ、JR陸前高田駅に着いた。正確には、駅だったところに着いたというべきか。駅舎はなく、漂着物の残骸しかない。

街一つが一瞬にして消えたという感じ。

走っている車は、自衛隊関係と廃棄物を運ぶダンプカーばかり。表現できる世界を超えている。
途中、自宅跡と思われるところで何かを探している家族を見かけた。大切なものなのだろう。街が消える瞬間を見ていた人は、生涯忘れることができないだろう。生存者にしができないこと、現実を見届けた人として、語り継ぐことをお願いしたい。
人は語り継ぐことにより、歴史をつくり、現在があり、未来を模索している。未来は過去がなければ、砂上の楼閣と同じで成り立たないのだ。


岩手県・一関ICより東北道へ入り、南下する。仙台郊外・村田JCT先より東京方面はあちらこちらで渋滞の表示が出る。GW後半の恒例行事だ。遠回りだが、山形道へ入り、庄内平野・鶴岡から国道7号線を南下し、日本海東北自動車道-北陸道-上信越道-長野道-中央道ルートにする。時間計算できない渋滞より、計算できるルートを選んだ。何とか今日中に帰りたい。眠さとの競争になるのは必至だった。

往復走行距離約1400km。大好きな東北へどれくらいの貢献ができたのかは心許ない。ほとんど何も貢献できなかったのと同じだと思うが、自分なりの充足感はあった。
ミシマさん、バンノさん、ニシムラ夫妻、ウエノさん、セキグチさんをはじめ、多くの皆様にお世話になりました。ありがとうございました。

被災地ボランティア生活7

Category : menu4 active
11 食事
ボランティアとして現地へ入る時期、復旧状況、ベースキャンプ周辺の状況や組織により、大きく異なります。

今回の状況
電気・水道は復旧しており、食品も調達できている状況でした。そのため、登米本部・唐桑VCともにご飯の提供はありました。
ただし、おかずはありませんので、各自での用意になります。お昼のお弁当は、おにぎりのみセルフサービスで提供されました。
なお、カセットコンロやキャンプ用ストーブ類の使用は禁止されていました。そのため、料理をしたくてもできない状況であり、缶詰類やカロリーメイトなどが中心になります。レトルトパックを温めることは可能だったようです。
また、状況として、野菜や果物の生鮮食料品が極端に不足しているので、これらを差し入れると、非常に喜ばれます。

ちなみに、コンビニは登米本部・唐桑VCともにすぐ近くにはありませんでした。
唐桑VCは近くの寿司屋や食堂が営業をしていたので、夕食は、メンバーの一部と外食しました。地元の店で食事をすれば、結果として地元経済(主に農林水産業)へ仕事やお金が回転することになります。
東京資本のコンビニなどで弁当を購入しても、地元の農林水産業の方へは直接波及するとは思えません。被災地で営業している店があれば、極力地元の店で購入・食事をするのが募金よりも役に立ち、喜ばれます。ただし、長期滞在の場合、毎回外食では経済的に苦しいため、自炊中心になると思われます。


12 お風呂について
基本、入浴できないと考えてください。ただし、近隣のご厚意により、男女交代で入浴させていただけるところもあります。
また、お風呂はご厚意により利用させていただくので、使用後の風呂桶、イス、シャンプーなどはきれいに整理してください。脱衣室もぬらさないようにするのは当然です。
(信州在住の私は地元の温泉をよく利用するのですが、マナーを知らない旅行者が時々います。大変見苦しいので、ボランティアとして特別に入浴させていただくときは、特に注意してください。)

今回の状況
東北本部(宮城県登米現地本部)では、近隣のご厚意により、入浴させていただいているようでした。ただし、全員が入れるわけではないので、時々と考えればよいでしょう。
唐桑VCも同様でした。ただし、国民宿舎唐桑荘では午後4時までの受付に限り、300円で入浴することができました。ボランティアは15時終了が基本でしたので、作業場所によりますが、入浴しやすい環境でした。
私は、唐桑VCの2泊目、作業後、皆と入浴しました。他のボランティア組織の方や他府県から応援の警察官も入浴にきていました。

13 お金(ATM)
現金が無難です。
電気やオンライン回線が復旧していなければ、金融機関やコンビニなどのATMは使えません。また、クレジットカードなども同様です。
財布とカバンなど、数カ所にわけて持参するとよいです。また、1万円札は避け、千円札やコイン中心のがよいと思います。

14 救急用品・薬・目薬・コンタクトレンズ類
被災地では店自体がほとんど営業しておらず、また、物資も豊かではありませんので、欲しい薬を手に入れるのは難しいと思われます。
持病の薬や救急用品(ファーストエイドキット)、目薬は持参するとよいです。また、コンタクトレンズ類の洗浄用品も同様です。



問い合わせについて
問い合わせ担当(総務)は、企業の総務部のようにいろいろな内容すべてを把握しているわけではありません。また、現場でのニーズも日々変化しているため、活動するタイミングに合わせて色々な方面から情報を仕入れ、予想し、準備をしてください。

(ボランティアの総務は長期間活動できる人が求められるため、必然的に学生中心になります。そのため、効率的ではない部分があることを考慮してください。ただし、学生ボランティアは非常に意識の高い優秀な方ばかりです。自分の学生時代と比べると、意識・能力は雲泥の差です…。

ボランティアのボランティアという仕事は、本当の裏方になり、直接感謝をされることは少ないと思いますが、彼ら・彼女らがいなければ、ボランティア活動ができません。深く感謝申し上げます。)

被災地ボランティア生活6

Category : menu4 active
9 現場での作業に使う道具
先発隊として被災地へ乗り込むのでなければ、ベースキャンプなどへ道具は用意されています。特別な指示がなければ、持参する必要はありません。
ただし、特殊技術をもっているのであれば、その道具を持参するのもよいです。今回、チェーンソーを持参されている方がいました。普段から仕事等で使われているとのことでした。

10 IT機器
☆携帯電話
必携です。ただし、通常の携帯電話ではインターネット接続ができない(情報量が少ない)ため、スマートフォンが理想です。
また、現地からブログに載せるため、文章をスマートフォンへ大量に打ち込む場合、キーボードがあると便利です。エレコムやリュードからBluetooth接続する折りたたみキーボードが商品化されています。

☆ノートパソコン
震災直後は使えませんが、電気が復旧しインターネットが使えるようになれば、あると便利です。特に、組織が大きくなり、総務的な仕事が必要になり、担当する場合は必携です。
ワイヤレス(無線)LANができるノートパソコンがよいでしょう。
また、個人で用意する必要はありませんが、大きな組織ではプリンター、いろいろな文房具なども必要です。

☆電源について
携帯電話の充電器は必携です。
ただし、宿泊するところによっては、充電できない(電気を使用できない)ところがあるため、単4乾電池などを携帯電話へ外付けする簡易充電器と乾電池を用意する必要があります。
また、三洋電機・エネループ・モバイルブースター(KBC-L2BS)という商品は、約4時間出力できるUSB出力付リチウムイオンバッテリーです。
車があるときは、車のシガーライターを増設するパーツにUSB対応のものがあるので、用意をしておくと車内でスマートフォンの充電ができます。

今回の様子
携帯電話は、約8割の人がスマートフォンでした。さすがという感じです。電気は使用できるようになっており、携帯電話への充電も可能でした。ただし、充電器はありませんので、持参する必要があります。
長期の方はノートパソコンも持参しています。唐桑VCでは無線LANができるようになっていたので、交互に接続してインターネットを使用しているようでした。

被災地ボランティア生活5

Category : menu4 active
8 その他、作業時にあると良いもの
☆ヘルメット(帽子)
半分倒壊しているような現場周辺で作業するときや強風の日には、必要です。強制ではありませんが、あったほうが無難です。

☆ゴーグル(サングラス)
現場や天候により、砂ぼこりがひどく、細かい砂などが目に入りやすいため、必要です。ゴーグルは蒸れやすいので、目の横まで広く覆うサングラスでもよいでしょう。
アスベストを使用している現場もあるので、注意が必要です。

☆マスク
理想は、防塵マスクの立体型です。なければ、花粉症の時に使うマスクでもOKです。一日一つ以上使うので、活動予定日数+αの用意をしましょう。
アスベストを使用している建築物もあるので注意が必要です。

☆手袋
ゴム手袋など、ぬれないもので、肘まで覆う長いタイプがよいです。また、ゴム手袋の中に軍手など、薄いものを使い、2重にしてもよいです。

☆名札
企業などで使用している首下げタイプが多いです。ただし、作業中、前かがみになるときには邪魔になるため、スキー場のリフト券を入れる腕章型のケースのがよい現場もあります。

☆カバン
貴重品などを入れるウエストバッグなどは必要です。その他、飲み物・弁当などを入れるリュックサックがあるとよいです。
雨や水没によりダメになるもの(書類、携帯電話など)は、冷凍庫で食品を保存するビニールケース(例.ジップロック(Ziploc)・フリーザーバッグ)に入れておくと安心です。

今回の様子
ヘルメット・ゴーグルは貸し出しをしていました。しかし、サイズ・数に限りがあるので、自分の身を守るものは自分で用意するのが無難です。名札は、名前・写真入りのものを受付時に作成し、首下げタイプの名札入れを貸与されました。マスク・手袋・ジップロックは余分にもっていくと役立つかもしれません。
また、被災地では洗濯ができません(水道の復旧していなところもあります)。下着類は使用後に処分できる着古したものがよいです。また、上着は汚れるのが前提になるため、穴が開いたり、擦り傷がついても問題ない服装がよいです。
ただし、行政のゴミ回収は機能していないため、現地でゴミとして処分できず、すべて、持ち帰りになります。

被災地ボランティア生活4

Category : menu4 active
6 上半身の服装
☆下着(シャツ)…暑いときは、シャツ一枚で活動するときもあります。
長袖シャツ。Tシャツは不可。理想は、速乾性のシャツがよいです。汗をかいたり、雨で濡れたときも乾きやすいです。ホームセンターなどで安く売っています。

☆中間着
薄いフリースなどがあるとよいです。ダウンジャケットはコンパクトになりますが、濡れると使えなくなるため、天気・作業現場に左右されます。現場での休憩時に着脱しやすいもの、カバンにしまいやすいものがよいでしょう。

☆上着
理想は、ゴアテックスなどを使用している防水・透湿の素材を使用した雨具(上下で2~3万円する登山用雨具)ですが、災害現場で新品を使うのはもったいないです。必ず汚れます。また、作業によりひっかき傷や穴があくこともあります。使い古しの処分に迷っている登山用雨具がよいです。
雨具がなければ、ウィンドブレーカーなど、防風の汚れてもよい、使い古しのものにしましょう。

7 下半身の服装
☆靴下
特になし。穴の開いていないもの。穴があいていると、靴ずれが起きやすく、次第に作業に影響します。雪の中で活動するときは、厚手のタイプを使うとよいです。

☆下着
特になし。低温下では、ズボンの下にはくタイツもあるとよいでしょう。

☆上着
長ズボンであればOK。
その他は、上半身の上着と同じ。

被災地ボランティア生活3

Category : menu4 active
4 靴
a 長靴  b 登山靴(ハイカット) c 運動靴(スニーカー)
a…長靴が基本。膝下までくる長いタイプが理想です。津波・液状化現象などで足下がぬかるんでいるときは、これしかありません。
b…ぬかるみがほとんどなく(水たまり程度)、足場の悪いところで作業をするのであれば、登山靴(ハイカット)が動きやすいです。長靴より足下がしっかりし、踏ん張りがきくので、ねんざなどは起きにくいと思います。
c…現場で作業をしないとき(避難所への訪問など)は、運動靴で十分です。ただし、車を降りてから目的地まで距離があるときは、現場を歩く場合もあるため、1か2がよいです。

5 靴の中敷き
釘の踏抜防止のため、ステンレス合板の入った中敷きを靴のサイズに合わせて用意するとよいです。ホームセンターなどで売っています。
ただし、釘の踏み抜きについては、ステンレス合板入りの中敷きを使用していても、場合によっては貫通します。1m位の段差を飛び降りるときは、十分注意してください。
実際、作業中にステンレス合板入りの中敷きを使用していたのに釘が貫通したという事故があったそうです。たまたま、ボランティアに医師がおり、破傷風防止の注射をすぐ打ち、事なきを得た、と聞いています。

今回の様子
私は長靴と登山靴を用意しましたが、長靴は一度も使用せず、すべて登山靴(ハイカット)で作業をしました。震災から49日も過ぎ、現場のぬかるみはほとんどない状態でした。ちなみに、他の方はほとんど長靴でした。
私が使用した登山靴は、ハイカットで12本アイゼンを装着できる、ソールがかなり厚いタイプで、ゴアテックス使用の防水仕様です。長靴より作業しやすく、釘の踏み抜き事故も少ないと思います。
アイゼン対応でない登山靴はソールが比較的薄いため、長靴とどちらがよいかは微妙と思われます。ゴアテックス等の透湿素材を使用している靴であれば、蒸れずに快適と思われます。
また、低温下(雪の中)で長時間作業をする場合、保温素材の入った靴や厚手の靴下を使用するなどの対策をとらないと、霜焼けになるでしょう。

被災地ボランティア生活2

Category : menu4 active
2 宿泊手段…おもに3通り
a 車内泊  b テント  c ごろ寝(雑魚寝)

a…自分の車に寝られるスペースがあり、駐車場まで近いとき。
b…体育館などの屋内や公園などの屋外にテントを張るスペースがあり、使用許可のあるとき。
屋外の場合、雨(雪)・強風でも問題ないテントで、ペグや細引きが必要です。
理想は、ペグと細引きでしっかり固定できる山岳用テントです。
体育館(屋内)で使用するときは、自立式テントが必要です(ペグや細引きを使えないため、ツェルト・シェルター類は不可)。
また、大雪のとき、テントは厳しい生活になるでしょう。
c…体育館など、屋内で寝られるスペースのあるとき。

3 寝るために必要な道具
a シュラフ(寝袋) b マット c テント

a・b…必要。
c…寝る場所によりけり。使えると快適。

今回の様子
私は宿泊手段として、a・b・cすべての準備をしました。結果として、初日がa、残りがcでした。
初日、登米本部(体育館)はすでに自分のテントを張るスペースがなく、屋外にはテントを張れない状況でした。また、体育館内のごろ寝スペース(「ごろ寝天国」という別名)も満員でbとcがダメ。結果、すぐ近くに車をとめてもよいという許可があったので、車内泊になりました。

道具については、エアーマットと4シーズン(雪山対応)シュラフを用意しました。もっとも、4シーズンシュラフに入ると暑いので、上布団として使いましたが…。GWですが、ちょうど桜が満開で、明け方はそれなりに冷えました。
体育館内は板張りの上に寝るため、かなり冷えます。マットを用意し、シュラフ(寝袋)はある程度の低温まで対応できるタイプのものがよいでしょう。

ちなみに、登米本部(体育館)のテントは翌日から減らされ、ごろ寝スペース(ごろ寝天国)が広くなりました。また、周辺への駐車は禁止され、近くの駐車場(徒歩5分)も満車になり、車で約10分の道の駅に用意された指定場所への駐車となりました。そのため、a・bは事実上できなくなったと思われます。

2日目以降は、唐桑VCの畳の上で雑魚寝をしました。体育館より快適と思いますが、マット・シュラフは必要です。他には、車内泊やテント泊の方もいました。
長期の方は、自分のテントを近くの屋外に張り、寝泊まりしていました。個人のプライバシー空間を持つことができるので、長期のときはよいと思います。

ただし、テントスペースには余裕がなく、1人用または2人用の山岳用テントが中心でした。三陸地方は特有の強風の吹く日があるため、張りっぱなしにするときはペグと細引きで固定できる山岳用テントが安全です。
実際、強風の日、テント内に荷物をかなり置いていたテントが飛ばされています。夜のみ使用し、昼間はたたみ車内などにしまうのであれば、ホームセンター・スポーツ用品店などで販売しているキャンプ用テントでも大丈夫と思われます。
また、長期のとき、普段のパジャマを持参するとよいです。リラックスできる度合いが異なるでしょう。

被災地ボランティア生活1

Category : menu4 active
活動するタイミング・ボランティア組織により、仕組みが大きく異なるため、参考にしてください。
※下記の内容は、GW(地震発生後、約50日)の内容です。


1 一日の流れ
一日のタイムスケジュールは以下の通りでした。もちろん、活動する組織・タイミング・場所により変化します。

6時30分~朝食
7時30分~ミーティング
8時30分~出発・活動開始
12時~昼食
15時作業終了
18時~夕食
19時30分~夜ミーティング
23時消灯

5月4日その2

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大津波の被害は、地形の微妙な起伏、半島の角度、海底地形が大きく影響している。また、建物のすぐ前に津波のエネルギーを吸収する他の建物の有無も大きい。陰になる建物は浸水しただけで倒壊からはまぬがれている。

震災前は海辺がよいという声があり、人気は高かったが、昔から人が住んでいる高台を見直す声が高まっている。宮城県では被災地域により、建築基準をもうけるようだ。仮設住宅はできるが、本格的な建築はすぐには難しいようだ。

よく、土地を買うとき、古い地形図や地形名を見ろという。
最近の市町村合併や町名変更による地名では、その土地の様子はわからないが、昔からの地名はその土地の様子を的確にあらわしていることが多い。慣用句ではないが、格言もある程度は重視するべきであろう。

だが、理屈や情報では理解していても、先祖代々から引き継いだ歴史ある、そして、自分の存在証明になる土地・家を手放すことは精神的に簡単にはできない。

5月4日

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災害ボランティアのメンバーは、毎日入れ替わり立ち替わり顔ぶれは変わるが、関東地方を中心に各地から色々な方が来ている。東京はいうまでもなく、北海道・千葉・神奈川・愛知・京都・大阪…、もちろん、東北地方の被災されていない方、そして、被災地出身の方も。
物理的な距離から関西以西の方はいない。関西からは北陸道・磐越道・東北道を使い、被災地入りをするようだ。距離的には名神・東名・首都高・東北道と差はないらしい。
韓国人・中国人・オーストラリア人・ニュージーランド人など、留学生や日本在住の方も見かける。日本人は留学や海外生活経験のある方が多く、普通に英語で彼らとやりとりをしている人が多い。英語を操れない私は、悔しさを感じた。

ボランティア渋滞という言葉もうまれ、各地でボランティアが活躍している。GW中日のこの日、RQ東北本部の登米には約220人が集まり、寝泊まりする体育館が一杯になったらしい。

社会人はGW以外には連休をとりにくいので、この機会を逃すと現地入りすることはなかなか難しい。また、6月からETC休日1000円が無くなると、遠方からは金銭的に難しい。「災害支援」で高速道路の出入口を事前申請すれば通行料金は無料になるようだが、組織などに入っていなければ使いにくい。

日本の援助はお金だけで、人が行かないので顔が見えないという。今回、大震災直後から現地が気になっていたが、現地入りする余裕はなく、とりあえず募金しかできなかった。
悔しかったが方法がない。また、医療関係でない私が行ったところで、何ができるかということもある。復興の度合いにより、必要と思われるときにタイミングが合えば参加するしかなかった。

自分を守り、かつ、応援するのは相反することが多い。
登山中の遭難救助と同じだ。危険なところで遭難者を見つけた場合、自分の安全確保が大前提になる。二重遭難という言葉がある。遭難救助に行った人が遭難しては意味がない。ミイラ取りがミイラになっていはいけない。
ということは、状況によっては冷酷な判断を求められる。一緒に行動している人が危険なところで遭難したら…。愛する人・親友・大先輩…、彼ら彼女らを見捨てるのか…

何が課題なのか、自分の弱点なのかを見つけ、日頃から知恵をつけるのだ。

5月3日

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ここは風光明媚な土地。海の幸はいうまでもなく、山の幸もすぐ手に入る。
かつては、遠洋漁業で7つの海を駆け回り、漁をした。期間は1年~2年と長かったが収入もあり、皆、立派な家をつくった。唐桑御殿と呼ぶんだ。

目を細めて遠くを思い出すように初老の男性は語った。
自宅は津波で被災し、つてを頼って同じ市内に住まいを借りたようだ。もっとも、市町村合併により一つの市になっており、数年前までは別々の市町村だ。他の町への引っ越しと同じであろう。

この方の新しい住まいの玄関にかけての階段補修へゴトウさんと二人で出かけた時の話である。話し相手は奥さんしかおらず、地域の男性はいろいろな集落の用事でてんてこまい。知り合いもいないので、話を聞いて欲しいという雰囲気があり、話を始めると止まらなくなる様子がある。残念なことに、すべての話を伺うことはできなかった…


東北地方にはがまんする文化がある、というが、精神的なケアをもとめているように感じた瞬間だった。心のケアは私のような者には難しい。

5月2日

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5月2日朝5時前に起き、準備をする。
昨夜、寝る前に色々と段取りをしたので、後は軽い準備だけだ。レーズンロールとさつまいものコロッケを食べ、荷造りをする。

2泊3日の予定で、宮城県気仙沼市唐桑半島のRQ唐桑ベースキャンプ(唐桑VC)へ遠征し、活動するチームに入った。現地には専属のメンバーがいるとのことだった。
自分の車は本部駐車場において他の方の車に相乗りのため、パッキングに頭を悩ませた。想定外のため、大きなザックがないのだ。結局、トートバッグ2つ、シュラフ(寝袋)、小さなリュックの合計4つになんとかまとめた。

朝7時半からのミーティング前に、お昼用のおにぎりを2つつくった。
ご飯は炊いてあるので、セルフサービスで作るように指示があり、丁寧なことに、ラップと中に入れる具が5種類くらい用意してある。
これだけの量のご飯を用意するだけでもとても大変だ。食事当番の方ありがとうございます。そして、その食材の調達担当、ボランティア活動を支援して下さる皆様、ありがとうございます。

実際、現地でご飯と汁物が出るかどうかの有無は大きい。当初、GW中はご飯の提供はないとのことだったようだ。自分でご飯を炊くことはできるが、ガスの使用は禁止されているのでつらい。

ミーティング後、車3台に分乗し、登米本部から唐桑VCへ出発。
私は、オザワさんの車に乗せていただいた。他には、ナガイさん、オカザキさんが一緒だった。オザワさんは山梨、ナガイさんは神奈川、オカザキさんは東京からで、ナガイさん・オカザキさんのお二人とは活動期間も全く同じだった。

天気は快晴。春の穏やかな車窓風景を眺めながら、旅気分で世間話をしていると、いきなり景色が変わった。

茶色の世界。「え、こんな所まで津波が…」

唖然とした。その場所は、明らかに海岸から遠く離れていた。

自然の前では、人間は小さい存在でしかないことを改めて感じさせられた。
津波対策を十分にしてきた「つもり」だったが、この現状である。

今回の東北大震災では、約3万人の方が死亡または行方不明だ。
この生死をわけた境目は何だったのだろう。

地震発生後、すぐに津波がくることを想定し、さらに、地震の様子から従来より大きな津波がくるということを感じることができ、さらに条件のそろっていた人だけが高台へ避難できたのだろう。

鋭い感覚と柔軟な思考力、仮説力が問われたのだ。
ただ、津波が到着するまでの時間が短く、あまりにも過酷な状況であったのは間違いない。

自分の命、家族の命、近隣の命、皆の命。命を救おうと懸命であったのは事実だ。

この日、沿岸部には強風警報が出ており、予定されていた活動は中止になり、近くの民家での作業になった。
昼休みの時に見た太平洋は、非常に穏やかだった。海は透き通り、エメラルドグリーンに輝いていた。大津波なんて想像することもできない美しさだった。

5月1日

Category : menu4 active
宮城県登米市の東北本部に着いたのは、なんだかんだで19時だった。
19時30分からミーティングで、その後に受け付けということになった。

今回、メールでの募集に応じ、「RQ市民災害救援センター」にて5月2日~4日まで活動する予定で、現地入りをした。移動日を含めると5月1日~5日の全5日間。GW休みをすべて使うことにした。

災害ボランティアは初めてだったので、どのような日々になるのか、全く予想できていない状態だった。事前の問い合わせでも、色々な活動チームがあるので積極的に関わってください、ということで、○○の担当になります、という指定はなかった。

受付時にもらった活動のしおりに、
「各人の自己責任、自己完結による、ボランタリーな活動によって成り立っています。日々、ボランティアのみなさんによる創意工夫、話し合いを重ねて、今日の姿があります。明日、もっとよい形になるために、一人ひとりの自発的な活動が求められています。皆さんも、RQの一員として、どうぞ積極的にかかわって下さい。」
とある。

わずかな活動期間であったが、このスタンスが最後までブレることはなかった。

19時30分からのミーティングでは、はじめに各チームからその日の活動内容の発表があり、翌日の各活動チームのメンバーを決め、その後、事務的な連絡があり、最後に代表者からの挨拶があった。
印象に残ったのは、「私たちがやりたいことをやるのではない。被災者の方の生活再建だ。アイデアを出し、被災者のためになると思われることをする。」
という話だった。

行政の災害復旧と異なり、役に立つと思われることは、何でもしてみようということだ。
民間企業での、新規事業を立ち上げ、好きなようにやりなさい、という感じだ。もちろん、自由であるということは、同時に責任もついて回る。
もっと、行政的な感じかと思ったが、よい意味で期待をうらぎった。さあ、何が始まるのだろう。

プロローグ

Category : menu4 active
この度の東日本大震災において被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
また、被災地において被災者救助および支援・災害対策・復興事業などに携わっているすべての皆様に深く敬意と感謝を申し上げます。

今回の震災により日本は、太平洋戦争後の復興期・55年体制・バブル崩壊、そして「東日本大震災復興期」という新たな段階に入り、日常生活・経済活動などすべての面がリセットされ、新たに創造をする新時代に入ると思います。

これから数日間ののブログは2011年5月1日~5日に東日本大震災の災害ボランティアとして、RQ市民災害救援センターの一員となり、おもに宮城県気仙沼市の旧唐桑町で活動した記録です。
自分自身の記録、今後、災害ボランティアに興味のある方のために、本当に短い活動期間の中で感じたことや生活面についてまとめています。内容については、現地で書いたブログ(下書き)へ後日、大幅加筆しています。



一通のメールが届いた。4月21日だった。
「再びボランティア募集のお願いがきました。
山スキーメーリングリストメンバーの多くの方が現地で活躍されました。
ありがとうございました。
これからも応募できる方がおられましたらよろしくお願いします。」

震災直後にも同様のメールが届いており、ずっと気にかかっていた。

GW前、仕事の目途はたち、5月1日~5日は休めそうだった。


4月30日、午後10時頃出発。
白樺湖を通り、長野県の佐久ICより上信越道へ入り、横川SAに0時前に着いた。
夜明けが早い時期なので、ここで仮眠をとる。
途中、地震で眼が覚めたが、再び眠りに落ちることができ、4時前まで寝れた。頭がすっきりしたところで出発。

関越道、北関東道、東北道と順調に進む。3月下旬に北関東道が全通し、関越道と東北道が接続したので、早くなった。
GWだが、震災と天気が今一つのせいか、思ったよりも車は少ない。

白河ICを過ぎ「みちのく」へ入ると、速度規制が始まった。
数年前の中越地震のときの北陸道より状態はよくない。応急処置がおわり、一般車両が通行できるが、継ぎ目などのギャップがかなりある。
道沿いの集落に目をやると、瓦屋根の棟木上にある瓦が地震で崩壊し、ブルーシートで応急処置のしてある家が目につき始めた。
入母屋の隅木上の瓦も崩壊している家もある。地震の長時間にわたる横揺れと縦揺れ、頻発した余震により、崩れたのだろう。
相対的に、スレート屋根でブルーシートを使い、処置してある家はないようだ。材料の重さが被害の差につながったようだ。見た目は瓦屋根のが重厚感があり、見栄えがするが、地震には弱いようだ。

GWの東北地方には何度か来ているが、今年ほど高速道路沿いに花が咲いている年は記憶にない。桜、桃、菜の花など、ピンク色・桃色・黄色など、多くの色が春を競演している。地震後に雪が降った日もあった今春、やっと春を実感できるようになった。

本宮ICを過ぎ、阿武隈高地の丘陵地帯のアップダウンが始まると、自然渋滞がところどころで始まる。といっても、渋滞ではなく、軽い混雑だが。
花の終わったところでは、木々の新緑が美しい。緑色・黄緑色・鶯色・萌葱色・○○色と色の名前を並べたいところだが、色の名前がわからない。色鉛筆によくある名前しか出ない。語彙が貧弱だ。
国見SAで大休止。仙台の街を見てから宮城県登米市へ向かうことにする。

仙台市内は、震災後約50日ということもあり、外見は復旧しているようだ。
ただ、至る所で傷跡を見ることができ、商業ビルの内部テナントなど、これから工事にとりかかるというところもある。また、震災により、本社・工場などが使えなくなり、廃業のお知らせも実際に目の当たりにする。
中心部商店街の大通りでは、市民団体などがよびかけをしていたり、デモ行進をしていたりしていた。あくまで表面上はきれいになりつつあるが、中身はこれからだ。

仙台郊外にでると、道路の橋の継ぎ目などのギャップが激しい。かなりの突き上げがある。
瓦屋根の棟木上だが、特に、古くからの重い瓦屋根の家が崩れている。最近の軽い瓦屋根の家は大丈夫のようだ。やはり、軽さは重要だ。

ガソリン・電気などの状況は、一応よいようだ。
登米市は思ったよりも大きかった。色々な店があり、電気もつき、営業も再開している。これなら、物資の奪い合いにはならないだろう。
途中、自衛隊の臨時駐屯地があった。普段は観光地なのに、大型車が何台も停められており、当分、観光地としての復旧は無理であろう。
プロフィール

すーさん

Author:すーさん
まわりを高峰に囲まれた土地、信州・八ヶ岳山麓より発信しています
→山梨県の桃源郷へ引越ました。桃の花が咲く季節は絶景ですよ。

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