スポンサーサイト

Category : スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

エピローグ

Category : menu4 active
5月4日の活動後、自分の車があるRQ本部まで送って頂いた。明日は帰宅し、6日から会社へ出勤しなければならない。
本部まで送って頂いた方は、唐桑VCの設立に深く関わっていた方で、車内で色々な話を伺うことができた。車で通る道も、5月2日とは異なり、また、別の被災地を目の当たりにした。

ここは約50軒からなる集落があったんだけど、2軒しか残らなかった。

見渡す限り、原野に近い状態になっていた。集落があったとは思えない。リアス式海岸が深く刻まれ、そこへ陸から流れ込んだ土砂が堆積してできたわずかな細長い堆積平野。当然、標高はほとんどない。大津波が襲えばひとたまりも無く、あっという間に破壊されたのだろう。

この集落では自衛隊の方々とすれちがった。連日、相当な整理をしたようで、ほとんど家の基礎しか残っていない。夕方5時を過ぎており、その日の任務を終えたほっとした表情を読み取れた。外見、20歳前後の若者ばかりだ。今は、彼らが日本を支えているのだ。この大震災での活動は、彼ら一人ひとりの人生にもとても重い経験になり、人生を左右することになるのは間違いない。大津波直後は、遺体が電線にひかかっていたり、あちらこちらに散乱していたという。マスコミでは報道されない、できない場面に数多く向かい合っているのだ。

その夜、自分の車で唐桑VCに戻った。
毎晩、夜のミーティングの後、ささやかな慰労会がある。ここでは色々な話を聞くことができ、大いに刺激になった。

ニシムラさんから「自分の仕事をつくる」という本を紹介された。この著者の本はいいよ、と推薦をされた。同姓だが別人で、RQ東京本部にて活動へ参加されているという。自宅の積ん読(読んでいない積んである本)にあったので、早速、帰宅後読ませて頂きました。

ボランティア活動の参加者は、意識の高い方ばかりだった。皆さん詳しくは語らないが、それぞれの職場で仕事ができる方ばかりだと思われる。逆説的の言えば、日常生活や仕事をまともにできない人がボランティア活動に参加しても多くの成果をあげることはできない。日常生活や仕事に全力で取り組み、充実した日々を過ごしたい。
ボランティア活動という表現は、社会活動へ無報酬にて参加する活動というイメージだが、実際は異なる。今の世の中は、お金を仲介にしてモノやサービスを取引する。しかし、近所づきあいやお金がない時代、お金が役に立たないところでは、モノとモノ、モノとサービスの物々交換だ。ボランティア活動ではお金をもらうことはないが、対価として色々な勉強をさせて頂ける。いろいろな価値観や日々の生活と縁の無い世界を見ることができる。
人の器は、出会いの数や体験の数で決まるともいう。
決して無償活動ではない。敷居の高い感じがする、どのように応募すればよいのかわからない、というとりかかりにくい面があるのは確かだが、一歩を踏み出そう。その人なりの新たな財産が増えるのは間違いない。ちなみに、はじめは1泊2日くらいから自分の体力・能力を考えて。ただし、一時的に財布は軽くなりますが…


5月5日朝6時過ぎ、東京方面へ帰宅するメンバーを見送った。日中、東北道が大渋滞するのは必至なので、早く出るという。一緒に唐桑VCへ来たナガイさん、オカザキさんも車内の人になった。オカザキさんは明日から熊本へ出張とか。皆様、お疲れ様でした。

私も8時過ぎに唐桑VCに別れをつげた。一人なので、気になっていた岩手県陸前高田市へ寄ることにした。報道されているとおり、陸前高田は大津波のすさまじい被害を受けたところで、唐桑半島からは県境を越えてすぐの所だ。
陸前高田へ入ると、国道から大迂回をさせられ、JR陸前高田駅に着いた。正確には、駅だったところに着いたというべきか。駅舎はなく、漂着物の残骸しかない。

街一つが一瞬にして消えたという感じ。

走っている車は、自衛隊関係と廃棄物を運ぶダンプカーばかり。表現できる世界を超えている。
途中、自宅跡と思われるところで何かを探している家族を見かけた。大切なものなのだろう。街が消える瞬間を見ていた人は、生涯忘れることができないだろう。生存者にしができないこと、現実を見届けた人として、語り継ぐことをお願いしたい。
人は語り継ぐことにより、歴史をつくり、現在があり、未来を模索している。未来は過去がなければ、砂上の楼閣と同じで成り立たないのだ。


岩手県・一関ICより東北道へ入り、南下する。仙台郊外・村田JCT先より東京方面はあちらこちらで渋滞の表示が出る。GW後半の恒例行事だ。遠回りだが、山形道へ入り、庄内平野・鶴岡から国道7号線を南下し、日本海東北自動車道-北陸道-上信越道-長野道-中央道ルートにする。時間計算できない渋滞より、計算できるルートを選んだ。何とか今日中に帰りたい。眠さとの競争になるのは必至だった。

往復走行距離約1400km。大好きな東北へどれくらいの貢献ができたのかは心許ない。ほとんど何も貢献できなかったのと同じだと思うが、自分なりの充足感はあった。
ミシマさん、バンノさん、ニシムラ夫妻、ウエノさん、セキグチさんをはじめ、多くの皆様にお世話になりました。ありがとうございました。

スポンサーサイト

Comment

非公開コメント

プロフィール

すーさん

Author:すーさん
まわりを高峰に囲まれた土地、信州・八ヶ岳山麓より発信しています
→山梨県の桃源郷へ引越ました。桃の花が咲く季節は絶景ですよ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。